2006年06月26日

1945(昭和20)年の今日

 「6月26日午前9時40分頃、北西方より来襲せる米機、本校校舎北方約50米の地点に大・中型爆弾十余発投下、為に北校舎大破、講堂・南校舎・表校舎その他中破、このまま使用し得る教室一室もなき状態となり、付近の一般民十数名爆死或いは重傷を受けたり。」 城南小学校沿革誌

校内のロダン像の礎石に残るくぼみは、その当時の傷跡です。

城南小70.JPG

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2006年06月07日

1960(昭和35)年の今日

 「彦根青年団体連合会が彦根地区共闘会議に参加し安保反対の声明を発表する。」と湖東報知が報じました。声明は「今沈黙することは許されません。会員諸君、今こそ口を開いて新安保反対を叫ぼう、どんなささやかでもいい、新安保批准阻止の為に行動を起そう。私達は自分達の力によって、平和と民主主義を守るのだ。」と結んでいます。
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2006年06月05日

1951(昭和26)年の今日

 「6月3日近江絹糸彦根工場で新入社員歓迎映画会の途中、8時ごろ突然フィルムに引火し、逃げ惑う工員が一度に昇降口の階段に殺到したため、階段で折り重なって倒れ、23名が圧死し、50余名が重軽傷を負った。何故か同工場ではこの火災事故を消防署に連絡もせず、10時過ぎになって市警に知らせるという相も変ら隠蔽主義である。」と湖東報知が報じました。
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2006年06月04日

1946(昭和21)年の今日

 「今年の5月までの彦根城天守閣の登閣者は1万人を超え、ざっと2400円を稼いだ。登閣者の大半は農村からで、食糧の豊かさを物語るお百姓さんの遊山気分のあらわれと見られている。」と滋賀新聞が報じました。
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2006年06月02日

1954(昭和29)年の今日 9 5 1954(昭和29)年の今日

 近江絹糸に全国繊維産業労働組合系の新労組「近江絹糸紡績労働組合」が突然結成され、大会宣言と要求項目を発表しました。要求項目には「仏教の強制絶対反対」「結婚の自由を認めよ」「信書の開封、私物検査を即時停止せよ」などが含まれていました。
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2006年05月30日

1952(昭和27)年の今日

 「マルビシ百貨店で彦根初の原爆展が開催される」と湖東報知新聞が報じました。「滋賀大学経済学部、県立短大自治会では、県教祖、彦根地区労、社会党、各民主団体の協力を得て、来る6月1日から1週間、銀座マルビシ百貨店3階で原爆展を開催、原子爆弾のもたらす惨禍を科学的に解明して彦根市民にアピールすることになったが、その意義は今日の緊迫した情勢下にあって極めて高く評価されるであろう。」
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2006年05月22日

1948(昭和23)年の今日

 学校週5日制による最初の土曜休日となりましたが、彦根東高校では学徒の向学心に答えて土曜日も毎週自由学習の日として授業をつづけることになりました。
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2006年05月17日

1965(昭和40)年の今日

 幸町町内会の公害対策委員会が「ノザワ石綿セメント粉塵被害対策についての請願書」を市議会に提出しました。細江 敏、徳永 甚太郎の両氏が紹介議員になっています。「仄聞する所によりますと、一日の降塵量は三トンを超えるとかで、町は文字通り灰色の町と化し、洗濯物一つ干すにさえ非常なる神経を労し、自作の野菜を収穫するなどという事はとうていできない有様であります。」と述べています。
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2006年05月15日

1960(昭和35)年の今日

 ラジオ京都滋賀放送局(彦根市西今町)の新築工事が完成し、周波数1060KCで試験放送を開始しました。(ラジオ京都滋賀放送局は、現在のKBS滋賀放送局で、彦根市大東町にあり、周波数1215キロヘルツです。)
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2006年05月08日

1936(昭和11)年の今日

 滋賀県庁改築問題を機会に彦根町に県庁を誘致しようと、平塚分四郎彦根町長より内務大臣に対し、県庁移転の要望書が提出されました。
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2006年03月24日

1955(昭和30)年の今日

初の女性市議樋口綾さん任期を終えるにあたり発言。

 「他の地方におきましては、婦人議員といたしまして可なりご進出になっておりましたけれども、彦根市においては私が初めてのケースであったわけであります。お気兼ねを願うほど若くもございませんので、皆様方とよく仲間に入れていただくのに何不自由も感じないで、私としては喜んでこの4年間を無事に勤めさせていただいたのでありますが、皆様の中にはさだめし足手まどいだとお思いの方も多かったと思うのであります。(「その通り」と呼ぶ者あり)(笑い声)」 議会議事録より
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2006年03月16日

1969(昭和44)年の今日

 15日行われた彦根東高校の卒業式は、県立高校はじまって以来の異例の卒業式になった。式途中に「安保反対」をとなえながら出て行ったり、また生徒の代表が作成した送、答辞の内容がありきたりの高校教育を批判するなど、これまでの「厳粛」ムードの卒業式から「訴える卒業式に一変した。「東高校の卒業式が、いま全国的にひろがりを見せている高校紛争のきっかけにならなければ…….」と出席した関係者は心配していた。....と京都新聞が報じました。
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2006年03月15日

1959(昭和34)年の今日

国鉄ダイヤ改正によって、彦根駅に上下各2本の急行列車が初停車することになりました。下り7時28分発「瀬戸」、上り8時9分発「雲仙」を商工会議所、観光協会の関係者らが出迎え、観光課伊藤照子さんから両列車の乗務員に花束が贈られました。
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2006年03月13日

1968(昭和43)年の今日 9 1968(昭和43)年の今日

 「近江鉄道では、かねてから路線バスのワンマン化計画を進めていたが、いよいよ18日から市内4路線でワンマン化されることになり、12日初の試運転を行った。県下の路線バスにワンマンが走るのは、これが初めて。200人の車掌募集に100人しか採用できなかった、経費増をくいとめ、運賃値上げを抑えるなどを理由としている。」と京都新聞が報じました。
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2006年03月06日

1931(昭和6年)の今日

 「彦根町外松原村村議会では、松原水泳場に脱衣所・休憩所その他の水泳場に必要な諸設備をなすことに決定し、予算に300円を計上、村会で可決した。また、将来は彦根から通ずる道路を拡築して自動車を全通させるほか、施設も完備して湖国一の大水泳場となす計画と。」朝日新聞滋賀版が報じました。
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2006年02月13日

1994(昭和19)年の今日

 井伊家所有の彦根城郭の土地・建物が、井伊直忠氏より無償で彦根市へ寄付されました。
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2006年02月05日

1920(大正9)年の今日

 「陶器商まからず屋の奥村松平氏は、新湖東焼きの再興を企画し、安居喜八氏所有の彦根公会堂脇、元木俣男爵屋敷地を借り受け、製造工場建設中なるが既に焼釜は竣功せしを以って、工場峻功の上は湖東焼製造を開始する筈。立藩時代と同様の陶器が産出せらるべしとのこと。」と京都日出新聞が報じました。
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2006年01月27日

1956(昭和31)年の今日

 「城下町の名物マラリア退治の学術研究機関として役立ってきた彦根市マラリア研究所は、この3月で風土病撲滅の偉業を残しながら姿を消すことになった。同研究所は25年に
創設され、撲滅対策の基礎研究を行い、原虫の温床となっている湿地帯(5カ所2万2千坪)の埋め立て計画を策定した。この結果患者数は対策実施前の873人(23年)から激減し、29、30年は零となった。」と京都新聞が報じました。
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2006年01月06日

1950(昭和25)年の今日

 「彦根工専と滋賀女専を統合した県立短期大学は四月発足予定で着々と準備を進めている。工業部は化学色染、機械紡織、建築の三専攻で定員各四十名、学芸部は文学と家政二つの専攻で文学六十名、家政八十名の定員となっている。教授陣には西山卯三郎元京大教授などが内定している。」と朝日新聞が報じました。


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2005年12月29日

1959(昭和34)年の今日

「岩戸景気で歳末大売出しの売り上げが大きく伸び、11月のえびす講の2億円を越え、4億円に達し、戦後最高額になりそうだと商店街連盟ではいっている。テレビなど受像機は配達されたものの、アンテナの取り付け工事に手が回らず、5日間も待たされた家もあった。」と朝日新聞が報じました。
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